複雑性PTSDの回復がんばりたい日記

過去の虐待・いじめ経験により複雑性PTSDを患った筆者による、あがき日記です。

過去のこと【学校編】

 

※この記事には、だいぶ省略していますが筆者のつらかった過去を書き殴っております。

つらいできごとに感情移入しやすい方には閲覧を勧めません。

筆者は今でも、過去の記憶を強く思い出すとボロ泣きしてしまいます。

 

 

 

まず前提条件として、私はブスです。

高校卒業前に整形したくらいには。

 

前記事で書いた家族も、容姿や身だしなみに無頓着であり、子供が少しでも洒落っ気を出すと怒るタイプでしたので、怒られないかつまったく改善されない程度の身だしなみしかできませんでした。

顔面のブスさ+身だしなみの悪さが、他人を遠ざけ、他人から攻撃される要因となっていたのは言うまでもありません。

 

 

【保育園時代】

幸いにもこの時は保育園の友だちや先生に恵まれ、あまり比較されたり理不尽に態度に出されたりはしてなかったと思います。

(私が気づいていなかっただけかもしれませんが...)

 

ですが、保育園で撮影された写真で、私が他の子と一緒に写っている写真を見ると、何か私の顔おかしいなと漠然と思っていました。

今思えば、子供ながらにブスゆえの違和感に気づいていたのかもしれません。

 

 

【小学生時代】

小1〜小4くらいまでは、特に問題ありませんでした。

変な教師はいましたが、クラスメイトとも普通に話せていたし、友だちも多くはありませんがいました。

 

風向きがおかしくなりはじめたのは、小5くらいから。

やはりみんな、この時期からかっこいいやらかわいいやらを意識しだす年頃。

 

この時くらいから、仲が良かったはずのクラスメイトの男子たちから、ブスと言われることが増えました。

当時は、その言葉の重さをよく分かっておらず、私も傷ついたなりにヘラヘラしてました。

ですが、何度も何度も、毎日毎日繰り返し言われるようになったので、さすがに精神的にも来るようになりました。

加えて、ニキビが顔中に広がっていたのもあって、ニキビブス気持ち悪い、とも言われました。

 

つらくて、母に

「ニキビを治したい」

とこぼしました。

 

母は、

「ニキビは青春のシンボルなんだから!」

とまともに取り合ってくれませんでした。

 

子供以外の家族のご機嫌取りに必死だったのだから、子供のことにかまけてる暇なんてなかったのでしょう。

 

私はすごく悲しかったです。

学校という狭い世界で生活しなければならないのに、その学校ではブス、キモいと言われ忌避される...。

 

この頃から、人と話すのが怖くなり、次第に友だちとも疎遠になり始めました。

 

学校にも行き渋り、体調も崩すようになりましたが、家族全員からは

「明日は必ず学校に行けよ!病は気からなんだから、体調不良なんか感じてる場合じゃないだろうが!!」

と言われました。

 

誰も私の話を聞いていないんだな、体調を崩しても心配すらしてくれないんだな、と悲しくなりました。

 

 

【中学生時代】

そんな小学生時代を過ごし、やっと卒業しました。

卒業したからといって、中学校は市立だったので同じ小学校のクラスメイトは大半いましたし、そこに+で他の小学校の生徒が集まる...といった感じで、学年人数は小学校の時から2倍以上になりました。

 

中1の時は、前半は仲良いクラスメイトもいましたが、やはり後半になると

「ブス!」「キモい」

となじられるようになりました。

 

仲良くなっても、顔のせいでいじめられるようになる。

自分がどんなに明るく振る舞っても、顔がブスなせいで人に不快感を与えてしまう。

加えて当時の担任もあかさらまに容姿差別をするような人で、ブスな私はキツく当たられていました。

 

一気にストレスが重なり、私は過敏性腸症候群の症状が出るようになりました。

当時はこんな病気があるなんて知らなかったし、症状も恥ずかしかったので誰にも相談できませんでした。

今でも周りには当時こんな症状があったんだよね〜とは言っていないです。

 

なので学校でクラスの中にいることも怖くなり、部屋に引きこもるようになりました。

 

引きこもりなんて、当然家族は許すはずありません。

 

飛んできたのは、まず怒号でした。

 

「何で学校に行かないんだ!」

 

「他の子ができることができないなんて、情けない」

 

「将来どうするんだ!」

 

「姉が影響受けたらどうするんだ!全部おまえのせいだ!」

 

「ブスって言われたから何だ!そんなことでつらいって思うな!」

 

「一丁前につらいとか思ってんじゃねえよ」

 

他にもいろいろなことを言われましたが割愛します。

 

本格的に、この人たちは話をまったく聞いてくれないし、私のことなんて全然心配じゃないんだな、と思うようになり、他人への不信感がMAX。

 

結局、中1の3学期から中3の卒業までまともに学校に行けませんでした。

無理矢理親にフリースクール的なところに行かされ、そこにはがんばって通いましたが、根本的な「顔がブス」ということ、それのせいで他人から攻撃されることについては、何も解決しませんでした。

 

私の自尊心は、この時点でバキバキに壊されていました。

 

 

【高校生時代】

そんな中学校も卒業し、高校に進学。

出席日数の関係で、進路は大幅に狭まりました。

 

私は、高卒資格も取れてかつ専門知識も身につく学校に行きたかったのですが、安いからこっちの定時制にしろと親から言われたのでその通りにしました。

 

進学した定時制高校は、不登校経験者が多いと言われていましたが、蓋を開けてみれば、成績が悪すぎて出席日数が足りていても普通の高校を受験できなかったり、ヤンキーすぎてまともに進学できなかったりと、ぶっちゃけ素行の悪い生徒が多かった印象です。

私含め本物の不登校は、10%もいなかったのではないでしょうか。

 

入学したばかりの頃は絶望しました。

不登校経験者が多いと聞いていたのに、周りは怖い人ばかり...詐欺にあった気分です。

 

もちろんそんな生徒が、顔がブスで陰気な私のことを見逃すはずがありません。

すぐに攻撃対象にされました。

 

まともに話したことがない人から、

毎日毎秒「ブス」「キモい」

 

ぶっちゃけ、高校時代は友だちどころか、誰かと話すことすら満足にできませんでした。

 

席に座ってるだけでも嫌な顔をされ、移動教室で近くを通ったら舌打ちされ、すれ違いざまにブスと言われて...。

 

こんな環境で人が怖くならないわけありません。

 

男女共に、顔が原因で避けられて、攻撃してもいい対象だって勝手に決められて、サンドバッグにされる...そんなことが分かりきっているところに行くなんて誰だって嫌でしょう。私も嫌でした。

 

本当に限界で学校を休むと、やはり家族全員からは大バッシング。

話すら聞いてくれません。

こちらは妥協して、行きたくもない定時制高校に行っているのに...。

 

正直高3で整形するまでは、学校がつらすぎました。

整形してからも楽しかったわけではありませんが、攻撃されることは圧倒的に減ったので快適ではありました。

 

まあ、

「顔変わったから可愛くなったけど、変わる前はブス」

とやたら私を攻撃してきた男から言われた時は心底キメェ〜と思いましたね。

そこは顔変わっても存在自体がキモいんだから変わった後の顔ごと一生嫌っとけや。

 

また、電車通学だったので、駅のホームでも、電車の中でもブスキモいってほぼ毎日笑われてましたよ。

簡単に悪口を人にぶつけられるなんて、ひどい人たちばかりですね。

ブスだから遠慮なんてしないんでしょうね。

率直に言うと地獄に落ちてほしいです。

 

【大学生時代】

覚えてない。誰とも関わってない。

 

 

 

以上ですかね。

トータルで言うと学生時代はずっとキツかったです。

当時味方がいなかったから。

 

家庭でも学校でもサンドバッグで、どこにも安らげる場所なんてなかった。

 

ちなみに高校〜大学時代はずっとアルバイトしてましたが、転々としてました。

バイトでも従業員や客から容姿バカにされ、ひとつの場所で関係性を作るということができない、同年代の子たちが怖い、お金が無いから働きすぎで体調がつらい...ということですぐバイトを変えることが多かったです。

 

ゴミみたいな遺伝子なのに金も持ってねえのかよ、と実家にはずっと思ってますね。

まともな顔も渡さなかったんだから金くらい渡せよ。小遣いじゃなくて、慰謝料としてな!!!

 

 

以上、当時のことを振り返った時の率直な気持ちでした。