※この記事には、だいぶ省略していますが筆者のつらかった過去を書き殴っております。
つらいできごとに感情移入しやすい方には閲覧を勧めません。
筆者は今でも、過去の記憶を強く思い出すとボロ泣きしてしまいます。
個人によっては、
「こんなことでつらいとか言ってるの?」
「全然大したことないじゃないか」
と思われるかもしれませんが、そちらをご了承の上ご覧いただけますと幸いです。
【家庭環境】
私の幼少期〜学生時代の家族構成は、
・私
・姉
・母
・父
・母方叔母
・母方祖母
・母方祖父
・母方曾祖母
という、3世代同居の家族でした。
端的に言ってしまえば、私の家庭は「家族の中で1人、共通の敵を作り、他の家族の連帯感を育てる」ような家庭でした。
私が保育園児の時は、祖父が家族間での共通の敵でした。
私は、優しい祖父が好きでしたが、他の家族はそうではなかったようです。
まあ、私が産まれる前にはいろいろあったらしく、母からの話を聞いた限りでは、孫には「優しいおじいちゃん」でしたが、他の家族からしたら「厄介者の頑固爺」だったのかなという印象を受けました。
祖父に懐いていた私には、まだこの家庭の不和に気づいていませんでした。
私が小5の時、祖父が逝去しました。
外面を気にする家族は、祖父にあれだけひどい扱いをしていたのに、葬式の時にはさめざめと泣いてみせていました。
その時初めて、家族に対して気味が悪いと感じるようになりました。
悪いことは重なるもので、祖父の死からいろいろなことが狂い始めたように思います。
まずは家族の共通の敵が、祖父が亡くなったことにより、子供に切り替わったことですね。
今までもつらく当たられることはありましたが、この時に明確に私が「敵」の役割になってしまったのです。
祖父の死からまもなく、祖母に認知症の症状が出始めました。
この祖母というのが、また嫌味ったらしく、強い者には下手に出て弱い者には強く当たる、典型的な嫌な人でした。
子供という家族の中で一番弱い立場であった私と姉は、祖母から小言を言われまくって育ちました。
そんな祖母は、認知症になる前から、悲劇のヒロインぶることが大好きで、家族内や自分の友だちに、あることないこと吹き込み、最終的には子供が全部悪い、というように周りに信じ込ませるような人でもありました。
周囲の大人は、「子供の言うことなんて信じられない」というタイプばかりだったので、身に覚えのないことで理不尽に叱られることも多かったです。
祖母は、今では認知症以外健康体という、厄介な存在として実家に鎮座しております。
それから、父が精神疾患で入退院を繰り返すようになり、仕事をしなくなりました。
よって家計は母の一馬力でやっていかなければならなくなりました。
この父というのが、父親になるべき人間ではなかったという一言に尽きます。
正直、親としての責務を果たしてもらった覚えがなく、それなのに子供らしく親を敬えと強制され、ずっと搾取されていたと感じています。
「精神疾患があったのなら仕方ないのではないか?」
「受け入れられない家族に問題があったのでは?」
と思われる方もいるでしょう。
結論から言うと、そんな博愛精神でどうにかなるほど甘っちょろいものではないです。
私はずっと、そんなことを言ってくる人に対し、「それだったら一度あなたの家でこの父親を住まわせてみてくれ!!!!」と憤っていました。
父親のことで困ったことは、まずは金銭面です。
働いていないのに浪費ばかりし、学費が足りないため将来の選択肢が圧倒的に狭まりました。
また、気持ち悪かったのは、娘である私に、親であることを求めてきたことです。
父親のことを子供だと思い全て受け入れろ、優先しろ、何も文句を言うな...。
今思うと、何を言ってるんだ?という感想しか出てこないです。
というより、まだ小学生である自分の娘にそんなことを求めることが人間的にどうなのか?
完全に幼児退行...そしてこんな横柄な態度をずっと取り続けられていれば、病気なのかもしれないが巻き込まれる側からしたらたまったものじゃありません。
元々好きではなかった父親のことが、大嫌いになりました。
紆余曲折ありましたが、父親は私が高校生の頃にやっと母と離婚し、家から出て行きました。
もう二度と関わってくれるな!!!とずっと塩を撒いています。
また、叔母からの当たりもだんだんとキツくなってきました。
理不尽に怒鳴りつけられたり、賞味期限切れの食品や残飯を無理矢理食べさせられたり...。
叔母は居候みたいなものだったのに、なぜこんなにつらいことをされなければいけなかったのか。
叔母曰く「あたし子供嫌いなんだよ!」とのことでしたが、それならば早く家から出て行って欲しかったです。
そうすれば、大嫌いな子供の顔を見ずに住んだでしょうに。
姉夫婦が住んでいるのを承知で、居候していたのになぜ??と今ならば思います。
当時はただただつらかったです。
そんな叔母は、私が中学生の時に、ずっと付き合っていた彼氏と結婚して家から出て行きました。
憑き物が落ちたかのようにおだやかになりました。
やはり気味が悪いです。
そして、諸悪の根源である曾祖母が、あからさまにお金をちらつかせて子供を脅すようになりました。
「お前らが生意気なこと言うと、この家の金は出さん」
この言葉をずっっっっと言われてきたので、良くも悪くも、金に対する執着がひどくなったのは言うまでもありません。
行くところもないのに、ただ金があるというだけで家族全員を脅し、頂点に君臨していたような老害。
そしてそんな老害にヘコヘコ頭を下げて、言いなりになるように子供である私への虐待を進んで行い、容認していた家族。
その見返りはわずかばかりの金だけ...。
私は、はした金のために虐待されることを強要され、反抗することも許されなかったのです。
そんな曾祖母は私が高校生の時に逝去しました。
父、母方叔母、母方祖母、母方曾祖母、ここには書いていませんがその他親戚連中のことは絶対に許せません。
二度と関わりたくありませんし、可能であれば謝罪の言葉・慰謝料をもらいたいくらいです。
でも、虐待被害の遡及訴訟はむずかしいみたいですね...。
それも、幼少期から虐待を受け続けて、証拠を集めるなんて考えにも及ばなかったため、余計に。
姉はずっと苦楽を共にしてきた戦友のような存在。
母は昔は虐待から守ってくれなかった敵でしたが、今は和解しつつある...たまに憎しみが溢れ出てきますが。
姉・母は総合的に見ては味方かなと思います。